2ヶ月ほど前から書こうとしてたこと。

ちょっと前に、ブラタモリ見たりポケモンGOで歩いたりして気が付いたこと。

国道5号線を小樽方面に行くと、稲穂駅付近から断崖絶壁が現れるんです。
星置駅は、南北の入り口ですごい高低差があり、なんでこんな地面になっているんだろう?って思っていたんです。
その後、ポケモンGOしに(笑)朝里駅に行った時、まるで切り取られたような断崖の下に、海岸線ギリギリに駅があったのです。それを見て、もしかして星置のあの断崖は昔の海岸線?と思い調べてみると、意外なことがわかってきたんです。

6000年前まで古石狩湾の海岸線だったようなんです。札幌から当別まで海の中のようでした。
千歳まで広がる古石狩湾、その後、石狩川によって運ばれてくる土砂で扇状地になり、海岸線が後退したと言うことでした。(気温の変化による海面低下もある)

その古石狩湾、砂州が伸びてあったんです。
手稲山から伸びる砂州と、石狩丘陵から伸びる砂州で防波堤みたいに湾を作っていたそう。
のちに砂が堆積して砂丘となり、縄文人の生活空間となっていたそうな。
そんな砂丘、紅葉山砂丘と呼ばれ、いま藤女子大の所と花川に微かに痕跡が残るのみ。
母親のところに行く時通るんですが、防風林にしてはこんもりと山になっていて、なんとなく不自然・・・ と思っていたんです。
折角なので、紅葉山砂丘に行ってみたんですが、今では半分墓地に、半分自衛隊の演習場になってました。
砂丘と言っても、砂があるわけではなく、小高い丘が連なって、木が鬱蒼と生えている、鳥取砂丘のようなイメージはまるでなし。
ここで内海と外海が分けられ、縄文人たちが生活していたのかぁ~ と感慨ぶけっているのは私だけ。( ´∀`)

その後調べていくと、夕張からの土砂流入などによって石狩平野が出来上がってきたのですが、今の形に完成したのが、300年ほど前と知って驚いた。
てっきり2~3000年前に形成されてなどと思っていたんです。江戸時代半ば!?
と言うことはよ、徳川家康は、石狩湾を見たことがないってこと?(実際に見てないが・・・)
そんな新しい平野だったんだ(地質的にみると300年はあっと言う間)。

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